「なんじゃこりゃ!」理髪店で目が覚め絶句…金髪姿の私を見て娘は号泣した
【前回】「もっと強いチームでやりたかった…」近藤昭仁監督はこう言い残してロッテを退団した からつづく。
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18連敗の責任を取る形で退任した近藤昭仁監督とは、実はわだかまりがあった。
ロッテの監督に就任した1997年の三塁の開幕スタメンから外され、代わりに本職ではない外野手が出場。ずっと心に引っかかっていた。
私は95年に打点王のタイトルを取り、球団初の1億円プレーヤーになっていた。不動のレギュラーと自負していたし、オープン戦で調子が悪かったわけではない。ましてや、キャンプから競争していた選手でもない。開幕直前に突然、外野手が三塁に送り込まれてきたのだから、意味が分からなかった。
開幕2試合スタメン落ちした私は、3戦目から三塁で先発出場。4戦目から5番となった。開幕の2試合はなんだったのか。監督やコーチから説明はなく、新監督への不信感を募らせていた。結局、この年は前年の123試合から75試合と出場試合が激減。打率も.211とワーストのシーズンとなった。