米国の謝罪文化は「謝らないと次に進まない日本」とは違う 大谷翔平の会見でも浮き彫りに
謝罪のあり方は、しばしば日米の文化の違いのひとつとして語られることがある。
訴訟大国と称されるように、事案の大小を問わず訴訟が頻繁に行われるのが米国だ。そのため、謝罪がその後の裁判で不利な証拠となることを避ける目的で、例えば交通事故を起こしても弁護士から「I am sorry(申し訳ないです)」と言ってはならないと指導されるのは日常的な光景である。
賭博スキャンダルに巻き込まれた大谷翔平の会見は日本なら「お騒がせして申し訳ない」という謝罪でスタートしただろうが、米国でそれを言ったら自分の非を認めたことになる。
逆に、謝罪をすれば解決できる問題であっても、「I apologize(すみません)」の一言がないために訴訟となり、しばしば早期の解決が妨げられるのも事実である。
こうした状況を背景に、米国においては訴訟を抑制するための改革が導入されてきた。
例えば、医療過誤訴訟で医師や病院側が患者に対して謝罪しても、発言の内容が法的な責任を認めることにはならないという「謝罪促進法」はそうした改革のひとつである。