“隠し玉”森山良二を単独1位指名した86年、根本陸夫さんは阿波野、西崎との「3頭取り」を想定していた
そもそも鈴木と根本氏をつないだのは、鈴木の大東文化大時代の恩師である岡田悦哉氏だった。
鈴木がかつてお世話になった関係者のひとりに、大阪の大鉄高(現阪南大高)から明大を経て、大映(現ロッテ)に入った万田睦夫氏がいる。1932年生まれでポジションは捕手、のちに大鉄高で監督を務めた網智氏と甲子園でバッテリーを組んだ。
「万田さんたち野球関係者に限らず、初めて会った地元企業の社長さんからも根本さんの名前が出てきたりする。『ああ、あの根本さんのところの?』って感じでね。こんなところまでつながっているんだと、何度も驚かされました」
根本流を参考に、野球関係者に限らず一般の人たちとも交友を深めた。
「良くしてもらった会社の社長さんに紹介してもらって、ドラフト候補の家に入れてもらったとき、親から『鈴木さん、俺には犯罪歴があってね……。スカウトを家に入れるのはあんたが初めてや』などと言われたり。母子家庭で親がやっている飲食店に連れて行ってもらったこともある。そうして接点ができたのも人のつながりがあってこそです」