KKドラフトの顛末…巨人スカウトに聞こえるように「ウチは清原と桑田を両方取る」と口にした
1985年のドラフトで、大阪・PL学園高の清原和博は意中の球団だった巨人にフラれ、西武入りした。巨人が同級生の桑田真澄を単独1位指名したからだった。
「KK」の指名を巡っては水面下で西武と巨人が激しい綱引きを繰り広げたのは有名な話だ。関西地区を任されていた鈴木は、清原とともに、桑田の担当スカウトでもあった。
「桑田の能力に関して言うと、遊撃手として大きな可能性を感じました。打者としてのセンスも非常に高かったですから。高校1年時、たしかPLでやった練習試合で二塁塁審を務めていた。試合途中にベンチから『代打だ!』と呼ばれると、二遊間の位置からベンチまでさっそうと駆け抜けて、バットを抱えて打席に立ち、涼しい顔でヒットを打ったんです。これは凄いなと。身のこなしが素晴らしい上に、バットコントロールが優れ、狙い球を絞っての決め打ちもうまかった。これは日本一のショートになる、と直感しました」
ドラフトを控え、投手としても打者としても才能に恵まれた桑田は早大進学を明言していた。しかし、西武はドラフト直前に清原との「両取り」を公言する作戦に打って出た。