高校時代の投手・糸井嘉男に野手としての潜在能力を見いだし何度も京都府宮津に足を運んだ
鈴木は少なくとも3回は、宮津に通った。職員室で当時の監督とも話をした。
ところが他選手との兼ね合いで、糸井の指名は断念することに。
糸井は高校卒業後、近大に進学した。
■近大の監督にポロッと話したら…
「当時、良くしてもらっていた近大の本川貢監督に、『京都の宮津に糸井っていうのがいる』って話したことがあったんです。糸井のことはドラフト直前のスカウト会議まで、本川さんにしか話したことがなかったんですけど、しばらくして本川さんが『宮津に行ってきた』と。さすがだなと思いましたよ。ウチは指名しないし、まあいいかなと」
糸井は近大4年時の03年、投手として日本ハムから自由獲得枠で指名され入団。3年目の06年に打者に転向してから才能が花開いた。
「聞けば、大学時代は投手に専念して打撃は一切、やっていないと。大学から打者に専念していたら、もっと凄い選手になっていたと思いますね」
高校生の将来性を重視したスカウティングは当然、当たりもあれば外れもある。