スポーツ報知の「記事ドロボー事件」に思うこと…スポーツ報道に蔓延る「疑似盗用」もしかり
今回の盗用は生え抜きの記者ではなかったそうだ。重い処分は当然として、疑問も残る。今回の盗用対象はフィクションではなくノンフィクションだ。たとえば、水原一平を巡る一連の記事はほぼすべて米国の報道をなぞった、いわゆるコタツ記事。引用元さえ明確にすればいいとばかり、取材経験もないネット世代の脱力が報道現場を混乱させ、現場に行っても取材しない“出前コタツ”もはびこっている。
欧米のスポーツ紙はイタリアのガゼッタ、フランスのレキップくらいだ。日本には全国スポーツ紙だけで6紙あり、独自の“文化”とすら言える。日本のスポーツが新聞社と軌を一に発展してきたレガシー、もしくは恥部──ニューヨーク・タイムズは昨年、スポーツ局を廃して結果報道は外部に任せ、時事ネタは社会部でフォローしている。文章の盗用ほど情けない話はない。日本のスポーツ報道も、ネットに引きずられてズルズル“疑似盗用”を続けていても仕方ないと思うのだが……。