“ミスター・ラグビー”と呼ばれた松尾雄治さん 西麻布で会員制バーを切り盛り「格安なので大繁盛だよ」
新日本製鉄釜石ラグビー部で79年から85年まで日本選手権7連覇を果たす
さて、東京・恵比寿生まれ、成城育ちの松尾さんは、父親の影響で成城学園小学校5年生からラグビーを始め、目黒高校、明治大学を経て実業団チーム・新日本製鉄釜石ラグビー部(現・日本製鉄釜石シーウェイブス)で活躍。スタンドオフ(司令塔)としてチームを率い、1979年から85年まで日本選手権7連覇を果たすなど、日本のラグビー界を大いに盛り上げた。
「引退後、ラグビー界から遠のいてしまったのは、ラグビー協会との考え方の違いが一因。僕はプロ化をどんどん進めて、選手にお金を回したほうがいい、という考え方。一方、協会は今もアマチュア精神を大事にしている。どっちが良い、悪いじゃない。ラグビーを応援したい気持ちは強いから、一時は普及育成のために協会と協力して活動したけど、やはり考え方が違いすぎました」
■53歳で亡くなった平尾誠二さんも常連だった
日本代表として共に戦った平尾誠二さんは、2016年、53歳で亡くなった。
「彼を日本代表に選んだのは、キャプテンだった僕。引退後もずっと仲良くし、彼はこの店にしょっちゅう来たし、彼の闘病中は見舞いに行った。でも、僕と仲良くしていると協会に良く思われないから、仲が悪いふりをしろ、と言っていたんですよ」
(取材・文=中野裕子)