「明治のナイチンゲール大関和物語」田中ひかる著
「明治のナイチンゲール大関和物語」田中ひかる著
現在全国で約130万人の看護師が働いている。そのうち9割以上が女性だが、かつて女性の就ける職業が少なかった時代、「看護婦」は女性の職業として広く認知されていた。戊辰戦争や西南の役などで負傷した兵士の傷の手当てをしていた「看病婦」と呼ばれた女性たちは、お金のために汚い仕事をする賤しい職業として蔑まれていた。専門的な訓練を受けた看護婦が誕生するのは130年ほど前。本書は、草創期の看護婦という職業の礎を築き、“日本のナイチンゲール”と称された女性(たち)の物語だ。
安政5(1858)年、黒羽藩(栃木県大田原市付近)の国家老の次女として生まれた大関和(ちか)は、18歳で結婚し故郷へ帰り1男1女をもうけるが、妾を置く夫との関係がうまくいかずに、自ら離縁を申し出る。その後英語を学びながら鹿鳴館で下働きをし、そこで鹿鳴館の女主・大山捨松の知遇を得、キリスト教精神に基づく看護婦という職業に引かれていく。
和は桜井看護学校に入学し同期の6人の女性とともに看護婦の資格を取得する。その6人のうちの1人が、静岡出身の鈴木雅で、以後、和と雅が車の両輪となって日本の看護婦業界を牽引していく。
和は「犠牲なき献身こそ真の奉仕である」というナイチンゲールの言葉を信奉し、ひたすらに目の前にある災厄に身を投じていく。赤痢が集団発生している新潟の村へ入り、消毒・衛生を中心とした処置を矢継ぎ早に施していく和の姿は後進の看護婦たちにも大きな影響を与えた。
一方の雅は、そうした和の自己犠牲的な献身が、無意識のうちに看護婦たちの過重労働や無償奉仕を強いてしまうと批判。看護婦はあくまでも女性が経済的自立を果たすための職業でなければならない、と。
情感的な和の合わせ鏡として合理主義的な雅が描かれることで、この2人があってこそ近代的な職業看護婦の道が開けたことがよく伝わってくる。 <狸>
(中央公論新社 2310円)