元祖イケメン俳優・仲雅美さん 借金3億円に泣き今は警備員
日舞は5歳から始め、朝丘雪路公演「明治一代女」に出演し、坂田藤十郎、故坂東三津五郎らと共演したことも。
仲さんは高校3年の時、故遠藤実、作詞作曲の「しあわせ呼ぼう」で歌手デビュー。
「深夜番組で4回歌う機会があっただけ。正直、鳴かず飛ばずだったね。でも、たまたまその1回を見た木下恵介監督から連絡があったんだ」
71年、TBSドラマ「木下恵介・人間の歌シリーズ」の「冬の雲」でデビュー。挿入歌のロシア民謡「ポーリュシカ・ポーレ」の日本語版を歌い、これが大ヒット。少女漫画から抜け出したような甘いマスクが女の子のハートをわし掴みした。
「マルベル堂のブロマイド売り上げ堂々の第4位! オレの勲章だね、ハハハ。しかし、ずっと大人の世界で生きてきた自分にとって、若い女の子にキャーキャー騒がれるのは違和感があったな」
■事業を手がけ、バブル崩壊とともに転落
75年から脚本家の花登筐主宰の「劇団喜劇」に入団し、多くの花登作品に出演。しかし、80年代半ば、洋画の版権ビジネスを手がけるようになり、一時は3棟のマンションを保有するほど儲かったが、バブル崩壊とともに転落。3億円の借金返済でスッテンテン、一文無しになった。