三浦大知ら沖縄出身者がライジングの“二度化け”を後押し
「沖縄空手を取り入れキレのあるダンスを学ばせた。沖縄にはそれに見合った子供たちが多くいたので、後は誰が通用するかの判断だった」
マキノ校長の見立て通り、安室奈美恵、MAX、SPEEDといった子をライジングに送り込み、大ブームを起こすも、思わぬ落とし穴があった。社長が脱税で逮捕。社長を辞任するなど事務所が大きく揺らいだ。アクターズとの関係も解消。一時、社名を改名するなど窮地に立たされ「解散説」も飛び交ったが、やがてみそぎが済んだ社長が復帰して今日の事務所の完全復活につなげた。
「元は演歌の青江三奈のマネジメントをするなどプロデュース能力に優れた人。安室ら多くの歌手を育てた底力もある。最終的に安室は独立しましたが、安室を国民的なスターにしたのは、社長の手腕なくして実現しなかった」(音楽関係者)
巻き返しを図るべく、1997年に沖縄出身の三浦大知の才能を見抜き9歳でグループのボーカルに抜擢。子供向け番組で活動させるという演劇界の「子役」ならぬ歌手として活動させた。その後、休業を挟むが、三浦はボイスとダンストレーニングを欠かすことはなかったという。2005年、“DAICHI”の名から本名の三浦大知に戻してソロとして復活。ソロでR&Bを歌って踊るという画期的なスタイルで活動するや、安室に続き再び日本の音楽シーンを塗り替えた。「和製マイケル・ジャクソン」と称され、出すアルバムは常にヒットチャートの上位にランクイン。2012年の初の武道館コンサートでは10分足らずでチケットが完売する人気となった。「紅白」は一昨年から2年連続で出場。音楽番組関係者も、「三浦の歌と踊りはダンスミュージック界でも群を抜いている。高齢者も目がくぎ付けになるほど」と絶賛する。
2月24日の天皇陛下在位30年記念式典で三浦が陛下の詠まれた琉歌に皇后陛下が曲をつけた「歌声の響」の歌手として選ばれる名誉に就いたのも、三浦の桁外れの実力が評価されたものであろう。
DA PUMP、三浦と沖縄出身者が事務所の完全復活をサポートした。