著者のコラム一覧
本橋信宏作家

1956年、埼玉県所沢市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。私小説的手法による庶民史をライフワークとしている。バブル焼け跡派と自称。執筆はノンフィクション・小説・エッセー・評論まで幅広い。“東京の異界シリーズ”第5弾「高田馬場アンダーグラウンド」(駒草出版)発売中。「全裸監督 村西とおる伝」(新潮文庫)が、山田孝之主演でNetflixから世界190カ国同時配信決定。

消え入りそうな声でしのぶは「わたし…仕事が…したい」

公開日: 更新日:

 まだ意識があった。

 スキルス性胃がんは無慈悲にも23歳という若さの堀江しのぶを地上から奪い去ろうとしていた。

 いままで世話になった野田の顔を見て、彼女はかすかに笑みを浮かべた。野田には抱っこしてあげることしかできなかった。堀江しのぶが消え入りそうな声で言った。

「社長……」

「うん、うん」

「わたし……仕事が……したい」

 軽くなったしのぶを抱っこしながら、野田は慈しみを込めて言った。

「うん、仕事しよう」

 返事はなかった。

 野田の記憶はその後、消えている。

 1988年9月13日午前4時28分、スキルス性胃がんのため死去。戒名は「麗光貞忍大姉」。

 コン……コン……コン。

 野田の記憶がよみがえったのは、堀江しのぶが納まった棺の蓋を打っているところからだった。

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