パーソナリティ荒川強啓氏 放送界の「政権すり寄り」危惧
東京五輪を「復興五輪」なんて「おためごかし」
――ありがとうございます。番組終了後の今はどうされているのでしょうか。
今は1紙だけ残して、全部解約しました。新聞を見なくなってどうなるんだろうということを、今は試しています。イライラしますかね?
――そうかもしれませんね。今の世の中の雰囲気は息苦しいものがありますから。なんで、このニュースにメディアはもっと突っ込まないのかって。
そうですね。実は番組が終わるに当たって、永田町あたりから圧力かかりましたか? という質問が、一部であったんですよ。逆におうかがいしたいのですが、そんな気配はありますか?
――詳細は把握していません。
そうですか、そんな声が聞こえてきていましてね。多分ないと思っているのですが。そこまで永田町を怒らせたかなあ、と思うんです。
――そんな声が飛び交うくらい、番組に骨太の魅力があったのでしょう。
もったいないと思うことはあります。「平成の終わりとともに番組も終了」というニュアンスの記事もありましたが、ストンと腑に落ちない部分もある。もう少し続けてみたかったな、という思いもあるし、もうお役御免かなとも思います。
――いやいや、もっと発言してください。とりわけ、東京五輪についての荒川さんの発言は過激な正論でした。
ずっと反対だと言い続けていたんですよ。招致当時、僕は東日本大震災の取材をしていた。何とかして災害から立ち直らなきゃいけないと取材をしている時に、東京五輪をやると聞き、腰が砕けそうになったんですよ。「被災地の人たちがどう思うか分かってますか?」と。復興資金や労働力、トラックと何から何まで全部、五輪準備に持っていかれちゃうわけですよ。
――しかも「復興五輪」などと言ってますね。
おためごかしもいい加減にしなさい、ですよ。ほんとにそれを聞いた時は腹が立ちましたね。何を考えてるんだろうと。
――そこまでしっかりと発言する方が、いなくなってしまいました。
元号が変わる、五輪をやる。お祭り騒ぎの裏で何が起きているのかということを注意して見ていかなければいけないと思います。若者の会話などを聞いていると、なんかこう、ひとつの方向を向いて流れている。そういうことにも危機感を覚えます。
(聞き手=小幡元太/日刊ゲンダイ)
▽あらかわ・きょうけい 1946年、北海道生まれ。東北学院大卒業後の69年、アナウンサーとして山形放送に入社。82年のフリー転身後、フジテレビ系「おはよう!ナイスデイ」の司会に抜擢。95年4月からTBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」のパーソナリティーを務めた、放送回数は全6250回にも上った。