大江千里さんの“最後の晩餐”は他界した父と飲んだビール
■夢は静岡・焼津上空からのスカイダイビング
日本で活動していた時はオリコンで1位になった、5位になったというのでレコード会社がボクを甘えさせてくれた。あの時なら、レコーディングを延期していたかもしれない。でも、向こうで信念を持って努力したら、扉が開いて居場所ができた。その場所で仕事を飛ばすわけにはいかない、オヤジが「やれ」と言ってくれたのだと思います。
ボクの病気、ツアーでやってきた東京でオヤジと過ごした2日間、レコーディングとタフな日々が続きました。ライフ・イズ・タフ、ライフ・イズ・ジェットコースターです。つらくても、行動を起こさないと今の場所にたどりつけない。その結果、オヤジと最後に“ビール”を飲むことができた。その数週間のすべてがボクにとっての最後の晩餐、死ぬ間際に思い返すような出来事だと思います。
父は入る墓を買ってそこに母や祖父も入っているのですが、妹が「私は結婚しているし、お兄ちゃんは向こうにいてお花も飾らへんやろうし。お墓、どうする? 閉じてもええんちゃう」と言うんです。ボクはアメリカで仕事をして、アメリカでお金をもらって生活している。向こうにいないとリアリティーがない。考えちゃいましたけど。