<2>「3年間兵隊に行ってきたら弟子にしてやる」と言われ…
話は1969年にさかのぼる。東京都大田区在住の谷富夫(才賀の本名)は、高校3年の年に担任教師との進路相談の際、「落語家になりたい」と明言した。寄席通いをするうち、自分の天職と思えたのだ。
「18のガキなりに師匠を選別しましてね。寄席で9代目桂文治の噺を聴いて、『この人だ』と決めました。ドキュメンタリー番組で見て、『面白い爺さんだな』と思ったこともあります。そこで師匠が住んでる上野稲荷町の長屋を訪ねました。先代林家正蔵(後の彦六)師匠も住んでた長屋です。すると、『3年間、兵隊に行ってきたら弟子にしてやる』と言う。断る口実で、どうせ行くわけないと思ってたんでしょう。でも純真な若者にとっては、師匠と見込んだ人の命令ですから従いますよ。『それじゃあ自衛隊に入って、3年後にまた来ます』と、その足で自衛隊の募集事務所に行きました。陸上自衛隊は2年がひと区切りなのでパス。海上と航空が3年の任期です。航空より海上のほうが航海の間に面白いネタが拾えそうだと思い、試験を受けたわけです」(つづく)
(聞き手・吉川潮)
▽かつら・さいが 1950年、東京都大田区羽田生まれ。落語協会所属。高校卒業後、海上自衛隊を経て72年、9代目桂文治に入門、前座名は「文太」。78年、師匠文治の死去に伴い、3代目古今亭志ん朝門下に移籍。「古今亭朝次」と改名し、二つ目で笑点メンバーとなる。85年、真打ちに昇進し、7代目「桂才賀」を襲名。