「フォードvsフェラーリ」が単なるレース映画ではない理由

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 10日公開の映画「フォードvsフェラーリ」(ウォルト・ディズニー・ジャパン配給)を試写会で見た。告白すれば最初は自動車ジャーナリストとしての興味、そして責務のようなものを感じたからである。当然、描かれるのは世界一過酷なレースといわれ、100年の歴史を持つ「ル・マン24時間耐久レース(以下ル・マン)」。イタリアの名門チームと、アメリカの巨大メーカーであるフォードがお互いの意地とプライドをかけて激しく対峙した史実は知っていた。クルマのことを、いや、レースのことを多少なりとも知っている人であれば、ピンと来るタイトルだ。

 だが普通に考えれば、高額な高級スポーツカーを少数生産するフェラーリと、あらゆるクラスの車を大量生産する巨大メーカー、フォードとの対立構造はイメージしにくいはずだ。映画の中に描かれていた人間模様など、想像できないかも知れない。車を知っている人でさえも、ル・マンの優勝経験を持つキャロル・シェルビー(マット・デイモン)と、悲運の名ドライバーともいわれるケン・マイルズ(クリスチャン・ベイル)との物語を知っている人は少ないかも知れない。

 さらにいえば、イタリアの名門常勝チームだったフェラーリに圧倒的な資金力にものをいわせたフォードが挑む、アメリカンヒーロー的な映画になっていると予想する人がいるかも知れない。

■レースの記録映画から人間ドラマ

 本作は、レースが開催されるフランスのル・マン近郊にあるサルト・サーキットのピットを忠実に再現したり、迫力あるレースシーンをこれでもかと展開させることも含めて、エンターテインメントとして成立する仕上がりだ。10年以上、現地ル・マンに通った経験がある私にとっては、一瞬たりとも興味が途切れることのない映画ではあった。ところが、フォードがル・マンで勝利して車の売り上げを伸ばすため、キャロル・シェルビーとケン・マイルズを利用しようとするあたりから、レースの記録映画とは少し趣を変えてくる。

 ここから人間ドラマがどんどん動き出し、引き込まれていく。結局、2人は巨大企業のエゴに翻弄されるも友情や家族との絆に支えられながらエンディングへと向かっていく。そして、試写後、私はエンドロールをぼんやり見つめながら、かすかな男の悲哀を感じていた。

シェルビーを心から愛する男

 実はこの時、同じ試写室にシェルビーに魅せられたひとりの男がいた。私は彼と面識もなければ、後に直接会い、話を聞くことになることすら知らなかった。その彼とは、横浜の海岸通りで「CJカフェ」を営む秋山健代表である。根っからの車好きであり、なによりもキャロル・シェルビーがレーサーとしてル・マンを制していることも、その後にカーデザイナーとして世に送り出した数多くの名車のことも、そこにまつわる物語のことも、すべてを心から愛する男であった。

 私は車好きたちが集うことでも知られ、さらに横浜の有名なカフェとして人気のCJカフェを、年が明けたばかりの1月4日に尋ねた。もちろんそれには理由があった。映画「フォードvsフェラーリ」の封切りを目前に控え、彼はCJカフェの裏手にある象の鼻パークの一部を占有し、同作で登場したケン・マイルズの乗っていた淡いブルーのGT40を始め、シェルビー・コブラやフォード・マスタングなど歴史的意義のあるスポーツモデルを10台ほど並べて一般に公開していたからだ。

 それも入場も見学も無料で、である。あとで話を聞けば、それぞれのオーナーたちを口説き、会場の使用許可を取得するのに奔走し、多くの仲間たちの手助けを得てようやく開催にたどり着いたのだという。すべてが手弁当による展示会だ。大々的な事前告知はなされなかったものの、突然、横浜の人気観光スポットにズラリと並んだ名車の周りには終日、多くの観光客やイベントを知って駆けつけた車好きたちが幾重にも囲み、賑わっていた。

「ル・マン以降、フォードはずっと悪役でした」

 そこで秋山代表を紹介され、話を聞いた。

あの66年のル・マン以降、その戦いぶりからフォードはずっと悪役でした。多少、クルマのことを知っている人たちにでさえ、大企業が名門フェラーリをカネで屈服させようとした、という言い方をする人もいます」と秋山代表は唇をかむ。

「でも、この映画の中には勝利のために苦闘したシェルビーとケン・マイルズ、そして彼らを支えた友人や家族の真実が描かれていました」と続けた。無論、秋山代表にとってみれば映画の中の史実はすでに書籍を読んだり、歴史を解き明かし、これまでに何度となく反芻してきた“伝説”だ。

悪役も善人もいない

 だが、一般の人たちにとって、それはあまり重要ではない。秋山代表は、名門フェラーリを大企業の前に屈服させようとした構図だけがクローズアップされることが多いことに忸怩たる思いを抱いていたひとりなのだ。

「この映画を見ていただければ分かりますが、史実に基づき多くの人間ドラマが描かれ、結局は悪役も善人もいないことが理解できると思います」

 秋山代表の表情が和らぐ。この映画が公開され、多くの人たちが見ることによってキャロル・シェルビーとケン・マイルズの2人に明るいスポットライトが当たったことを喜んでいるようだった。

 話を聞いたあと、私は再びエンドロールをぼんやりと眺めながら、しばらく席に座っていた時を思い出した。本来ならハッピーエンドがお好みのはずのアメリカ映画でありながら、一抹の寂しさ、理不尽さを感じていたことを。これ以上語ると完全なネタバレになるからやめておく。劇場に足を運んでその意味をぜひ、スクリーンで確認して欲しい。

(自動車ジャーナリスト・佐藤篤司)

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