志村けんさん25話ぶり登場 山田耕筰と山根銀二の戦犯論争
発端は、山根が1945年12月に「東京新聞」の楽壇時評の欄に記した「資格ない仲介者」と題する一文だった。戦時中、米国人や米音楽の野獣性を糾弾してきた山田が今や、こともあろうに融和交歓を掲げ、進駐軍にいる音楽家の世話をしている。日本音楽界の軍国主義化を推し進めてきた戦犯ともいえる山田に、その資格はないと噛みついたのである。
■「あなたこそ、私以上の戦争犯罪者」と反論
山根の攻撃に、山田も同紙に「果して誰が戦争犯罪人か」という一文を寄せ、すぐに反論した。「戦時中、国家の要望に従ってなした行為が戦争犯罪となるなら、日本国民は挙げて戦争犯罪者になってしまう」と述べた上で、「あなたこそ、私以上の戦争犯罪者である」と返り討ちにしたのだ。
「私以上の戦争犯罪者」とはどういう意味なのか。これには「日本音楽文化協会」という団体が関係している。太平洋戦争が始まる直前につくられた国策団体で、国威発揚を目的とし
配信専用本文、そこにくみしない音楽家は業界から排除される憂き目に遭った。ここに入らなければ、紙や楽譜の配給も受けられなかったのだ。