漫画家・倉科遼さん初めて明かす「女帝」シリーズ誕生秘話
倉科遼さん(漫画家・舞台プロデューサー 70歳)
「女帝」「夜王」など夜の世界をテーマにした漫画で知られる漫画家はここ数年、自身の原作やオリジナルの舞台のプロデュースに力を入れている。来し方と今後は……。
◇ ◇ ◇
漫画家や原作者を長年やってきましたが、縁あって舞台をやってみようと思うようになりました。2014年に僕が原作を担当した世界的ファッションデザイナー、コシノ3姉妹を描いた「おかあちゃん~コシノアヤコ物語~」が上演され、一発で舞台に魅せられました。その舞台に出演していたタンゴで知られる歌手、冴木杏奈さんを起用して15年「早春のニューヨーク~あなたを忘れない~」から3作すべて書き下ろし作品を500~600席の劇場で上演しました。
漫画は結果が出るまで時間がかかりますが、舞台はストーリーを作れば、具体化も早い。それなら舞台でオリジナルの世界を表現しようと。やってみて舞台が持っているエネルギーのすごさに圧倒され、本格的にのめり込んだのです。
■「僕がお金を出すから」と編集者を誘う
漫画家としては35歳くらいで200万、300万部のヒット作3、4本がありました。ちょうどその頃、出版社に作品を表彰され、ご褒美として初めて銀座のクラブに連れて行ってもらいましてね。その時はきらびやかな世界だなとか女性を口説きたいと思うより、なぜか、ネオンの世界はいくらかかるのかに興味を持ちました。
翌週、銀座にある別の出版社の編集者と食事をした時に「クラブっていくらかかるの?」って聞いたら「クラブに行けるのは上層部だけ」というので、「じゃあ、僕がお金を出すから行こう」と誘いました。すぐにその前の週に行ったクラブのママに電話して、手持ちがないからツケにできないかを聞いてみたら、「送りですね」と言う。その時初めてツケのことを「送り」というんだと知りました。
後日、請求書が午前11時くらいに着いたのでドキドキしながら開いてみたら、思っていたよりも安く収まっていまして。ママが気を使ってくれたんだと思います。借金が大嫌いなのですぐに払いたくて、その日の13時には振り込みを済ませました。
すると、15時すぎにママから電話がかかってきて、「20年間、この世界で生きてきたけど、当日振り込まれたのは初めて。今度一緒に食事にいきましょう」と。
でも、当時はいくつも連載を抱え、忙しくて、そんなことがあったのも忘れてしまいました。2カ月後、築地の病院に入院していた義父が余命宣告を受け、ショックで呆然として銀座に向かって歩いていたら、ふとビールが飲みたくなって、フラッとママの店に立ち寄りました。
ママはバーテンダーに「チーフ、何か出してやって」と言って僕をカウンター席に座らせ、自分は客席に戻っていきました。