音のライバル夏目千鶴子のモデル 関屋敏子の数奇な運命
そのニュースを聞きつけたのが、「エール」では双浦環(柴咲コウ)の役名で登場する世界的オペラ歌手の三浦環だった。環は関屋家を訪れ、敏子を音楽の世界に勧誘。2人で共演すると、新聞各紙は「天才少女現る」と報じた。敏子がまだ11歳の時である。
■スカラ座のオーディションに一発で合格
その後、敏子はイタリアに留学。向こうでもすぐに頭角を現す。同国最大のオペラ劇場スカラ座のオーディションに一発で合格。何回かチャレンジして、やっと合格するというのが当たり前だった。その実力は群を抜いていたのだ。主役の座を次々にゲット。師ともいえる三浦環に負けず劣らすの評価を海外でも得たのである。
1929年25歳の時、敏子は凱旋帰国。翌年、日本初のオペラ「椿姫」が歌舞伎座(東京・銀座)で上演され、プリマドンナを務め大絶賛を浴びた。辛口で知られる作曲家・山田耕筰(「エール」では小山田耕三=志村けん)も、「彼女の歌を聴き、喜んだ。私一人の喜びではなく、音楽を愛する民衆の一人としてだ」と手放しで称賛した。