立川志の輔は最初から師匠に可愛がられた 俺とは大違い
話を40年近く巻き戻した練馬・武蔵関(最寄り駅)の立川談志宅へ移すのだ。
とにかくその日、志の輔がやって来たのだ!! といっても、初めから平成の名人立川志の輔でもなく、2015年、お国より紫綬褒章を受けた世間的に立派な志の輔ではもちろんなかったのだ。というか、最初から志の輔という芸名が付いているはずもなく、俺の第一印象は堅苦しそうな、やたら分別のあるおっさん――NHKでまさに志の輔が司会を務めている「ためしてガッテン」のあのイメージそのものであった。そのおっさんは名前は「竹内照雄」であった。
その日、練馬の師匠宅に弟子入りに来た竹内くんは名は体を表すなどはウソっぱちで、決して光をランランと輝かせるような照雄などではなく、日陰でジメ~ッとした感じがしていた。
ま、そーいうのもあの時の状況を考えたら仕方ないというか……なにしろ、その時に志の輔は30歳に手が届こうという年配であり、確か俺の記憶に間違いがなければ、それなりの広告代理店でバリバリと働くエリート(?)サラリーマンであり、女房までいたと思うのだ。