師匠の家に弟子入りした俺を待っていた2人のオカマ兄さん
立川談志に弟子入りを許された40年近く前の俺は当時借りていた西新宿の木造ボロアパートから毎朝、師匠の住む武蔵関の家へと通う生活が始まった。それは毎日、掃除機をかけ、雑巾がけをして窓ガラスにハアハアと息を吹きかけてピカピカに磨き上げるという、単調で何一つ面白いものではなかった。
といっても、俺は一人でそれをやるわけではなく当時、俺の上には同じく通いの弟子、いわゆる「兄(あに)さん」と呼ぶ者が2人いたのだ。
一人の兄さんはすでに弟子入りして1年くらいになっていたのだったか? 横浜の国立大学出身であったと思う、談州という男であった。色白で細身でなよっとした身のこなしをするのだが、とにかく師匠の機嫌を損ねないことを最優先する男だったので、よく言えば繊細で気遣いの人……しかし、悪く言えば「口うるせーオカマ野郎!!」だったのだ。
いや、これは決して談州兄さんが陰湿や陰険であったりということではなくて、要するに掃除をサボってトイレで隠れてたばこは吸うわ、師匠のところに贈られてきた物を勝手に食うわ(師匠のところには落語会で訪れた日本各地から毎日たくさんの物が送られてきた)の俺のテキトーな行動が師匠にバレたら、連帯責任で「全員破門」もあるということへの、正しくは何一つ間違いのない注意であったのだ。