“病気”のまま天才に才を認めさせたマヂカルラブリー野田
大抵の芸人は芸歴を重ねる中で、自分は松本のような天才ではないと気付き、芸風を自分に合ったものに変えていく。しかし、野田はそうではなかった。そのことについて語ったのが今週の言葉だ。
野田は高校時代に「学校へ行こう!」(TBS)の企画「お笑いインターハイ」で優勝。電車移動中はサングラスに帽子、クラスメートを「素人」扱いして口を利かなくなり、学校行事に参加するならギャラを要求など、分かりやすく天狗になった。
そのまま、プロになると養成所出身の芸人を見下し、やがて“地下”へと潜っていった。一時はコンビを組んでいたが、ピン芸人になると「スベってる笑いこそが笑い」「突き詰めた笑いはスベる」「ウケてる芸人はダサい」(TBS「人生最高レストラン」21年2月20日)とまで考えるようになってしまった。
そんなときに出会ったのが、大学お笑い王者の村上だった。彼は野田を見て「ツッコミがあれば売れるんじゃないか」と思い、コンビを結成。アルコ&ピース・平子が「野田は奇人としての天才で、村上はそれを説明する天才」(「しくじり先生」21年3月8日)と評する2人は、すぐに若手ライブで連戦連勝になった。