“神様・仏様”の稲尾様が俺に語った「九州の地に生きて帰れんばい、ガタガタ」
プロ野球ここだけの話<3>
今回もまたプロ野球ここだけの話なのだ。プロ野球好きの方であったら「神様・仏様・稲尾様」という言葉を耳にしたことがあると思うのですが……。
1958(昭和33)年のプロ野球日本一を決める日本選手権シリーズはセ・リーグの王者読売ジャイアンツとパ・リーグの覇者西鉄ライオンズとの戦いになったのです。
西鉄の当時の顔触れを見れば大下弘(首位打者3回、本塁打王3回)、中西太(首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回)をはじめ、新人王、首位打者にも輝いた当時23歳まさに若獅子の豊田泰光、そして後にオリックスの監督となり、阪神・淡路大震災の被災地である神戸に希望の光「がんばろうKOBE」を与えるリーグ優勝を達成したり、あの偉大なる打者イチローを誕生させた仰木彬らパ・リーグを代表する軍団であり、そしてそのチームの指揮をとっていたのが三原脩監督であったのだ。
三原はライオンズを任される前は巨人の監督をしていたが、東京六大学時代のスター水原茂が監督になることにより都落ち(当時の福岡は相当田舎扱いされていた)させられたのだった。