“神様・仏様”の稲尾様が俺に語った「九州の地に生きて帰れんばい、ガタガタ」
そんな因縁を含んだ水原巨人との対決は三原にしてみれば仇討ちであったのだろう。ちなみに、その年の巨人の4番は、立教大学で六大学ホームラン記録を作り、巨人に入団するやいなや、たちまち大人気となった長嶋茂雄である。
58年の日本選手権シリーズは10月11日、巨人の本拠地後楽園球場からスタートした。何が何でも日本一の座につき、水原を、そして自分を見限った巨人軍を見下してやりたいという西鉄三原の心とは裏腹に、西鉄は1、2戦を落とす。さらに移動日を挟んで本拠地平和台球場に戻ってきたにもかかわらず、巨人のエース藤田元司に0対1の完封負けを喫してしまい、もう後がない崖っぷちに追い込まれたのだった。さあ、ここからが俺の知るプロ野球裏側の真実なのだ。
結果を先に述べてしまうと、翌日が雨天中止となり、その中止で息を吹き返した西鉄が奇跡の4連勝で逆転日本一に輝き、その4勝すべてがエース稲尾和久の勝ちであったのだ! それにより「神様・仏様・稲尾様」が生まれたのである。
多くの野球史には雨天中止が決まった時、三原監督がチームの中心選手である大下に大金を渡し「沈んでても仕方ないやろ、これで芸者遊びでもして気分転換させたれ」で、その夜は西鉄軍団飲めや歌えやの大宴会、それが見事に流れを変えて日本一となったとなっているが……。