五木ひろしの光と影<5>ギター片手に夜の街に出た「流し」の日々
所属事務所が倒産し、ポリドールレコードから契約を解除された一条英一も、食うためにギターを片手に夜の街に出た。新宿、赤坂、銀座の居酒屋、クラブ、キャバレーを転々とした。日銭を稼がないと生きていけないのだ。松山まさる時代から演歌調の楽曲を歌ってきたが、酔客の前ではそうも言っていられなかった。思い出したくないこともたくさんあったに違いない。
筆者も幼児の頃、温泉街で初老の流し歌手に遭遇したことがある。「坊ちゃん、何かリクエストを」と言われ、「宇宙戦艦ヤマト」と言ったら、ギターで見事に歌い切ってくれた。
このように客の要求にはなんでも応じないと、やっていけないのだ。民謡や演歌だけではなく、ポップスも、フォークも、ジャズも、アニメソングも、ロックンロールさえもこなす必要がある。音感はもちろん、演奏も歌唱力も優れてなくては務まらないものである。
アマチュア歌手と一緒くたにされながら、酔客のリクエストに応じていくうちに、一条英一の実力はおそらく磨かれていったはずだ。かつては食うに困り、フジテレビの食券を握りしめ、中野のアパートから曙橋のフジテレビまで徒歩で通うくらいの困窮生活だったが、夜の街で歌ううちに、ひとまず脱することができた。馴染みの客からごちそうしてもらうこともあったのだろう。昭和40年代前半、大卒の初任給が1万円という時代に、1日5000円も稼いだというから、暮らし向きだけは好転した。