卒業式直後に弟子入り志願 師匠はニヤッと笑って「来ると思うてたわ」
染雀には、芸能と関わりがある血族がいた。まず、父方の祖父母である。
「祖母は京都の花街、宮川町の芸妓でした。祖父は一時、大衆演劇の役者をしていた時期があったそうで、それも女形で」
染雀が桂あやめとのユニット、姉様キングスで音曲漫才を演じる際、女形で芸者姿が似合うのは祖父母から受け継いだ血だったのだ。ドレス姿でシャンソンを歌うのは?
「それは父の妹、叔母の影響でしょうか。叔母は東敦子という日本で指折りのオペラ歌手でした。蝶々夫人を歌わせたら随一と言われたくらいです。日本人で初めてロシアのボリショイ劇場に出たことでも知られています。お正月に、NHKのニューイヤーコンサートで歌ってるのを家族一同で見るのですが、僕は裏番組のかくし芸大会を見たかったのに(笑い)」
それにしても東家は普通でない一族だ。
「祖父は子供たちに高等教育を受けさせて、父は後に高島屋専属のデザイナーになりましたし、伯父は東大出て、当時の農林省の官僚になって出世しました。それで僕の父も、子供に高等教育を受けさせたのです。大学出た後は勝手にやれという自由主義なので、落語家になることも反対しなかったのはありがたかったですね」