憑依型のストロングスタイルとは異なるホリのモノマネは広告代理店流
小学1年生の頃の夢は「漫才師」だった。この頃、「お楽しみ会」がクラスで開かれた。その際、ホリが企画した「クイズ100人に聞きました」(TBS系)のパロディーでクラスメート42人にアンケートを取り、「クイズ42人に聞きました」を開催。いわば番組をモノマネしたのだ。
親と教師に褒められたホリはこの時、「自分でオリジナルギャグを考えるよりも、笑いとるのにモノマネが有効だというのを気づいた」(文芸春秋社「文春オンライン」17年12月1日)という。その後、ホリの興味は企画やデザインの方に移っていく。根が裏方気質で戦略家なのだ。
モノマネ芸人になった際も、あえてモノマネ芸人の事務所には入らなかった。「お笑いでもモノマネでもどっちでも体を入れ替えることができると思ったから」(同前)だ。お笑いライブにも、モノマネのショーパブにも出演し、それぞれでネタのやり方や構成の仕方を変えていた。その結果、テレビに若手芸人くくりの企画の時も、モノマネくくりの時も、ピン芸人くくりの時も呼ばれるようになり、知名度を飛躍的に上げることができたのだ。