木下優樹菜の告白に支援者からも批判噴出「ADHDは免罪符や武器ではない」本人に届くか?
■ADHDのせいにするのは違う
「ADHDは病気ではなく、『大学に行ってこうあるべき』『社会に出てこう働くべき』という社会が足並みを揃える価値観の中で、『うまくできない人』を分類分けするために生まれた障がいの概念です。あくまでADHDという診断は、『どうしてもうまくできない部分』をサポートしてもらうための手段であって、ADHDと診断され、社会に順応するために努力をしている人たちは、決して『ADHDのせい』にはしません」
ADHDは、生まれもった生きづらさがあるという特性を表すものであり、今誰しもが「生きづらさ」を抱える世の中で、ある意味でそれは「特別」なことではないだろう。
「ADHDを自覚している人の中には、特性である万能感や衝動性をうまく向いている仕事に生かしたりしている方もいます。だからこそ、相手が自分に合わせて欲しいというのは間違っていると思います」
人間関係を構築する中で、苦手な部分や不出来な部分をお互いに理解し合い、許し合うことはADHD関係なしに、誰しもが多かれ少なかれ行っていることだろう。ADHDを引き合いに出し、現パートナーと前のパートナーの理解のなさを比べ、言及してしまう配慮の無さは、単純に「人としての至らなさ」ではないだろうか?