すぎもと まさとさんの原点は「スーダラ節」 生家の慰安旅行で小学生の僕が歌うとドッと受けた
すぎもとまさとさん(作曲家・シンガーソングライター/73歳)
作曲家でシンガー・ソングライターのすぎもとまさとさんにとって原体験で思い出すのは子供時代に聴いた植木等の「スーダラ節」。作曲家として「お久しぶりね」をヒットさせ、「吾亦紅」を歌った紅白出場までをうかがった。
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僕にとって音楽の原体験は植木等の「スーダラ節」です。見ていたのは「シャボン玉ホリデー」かな。ザ・ピーナッツが出てきてクレージーキャッツがコントをやって、植木等が♪チョイト一杯のつもりで飲んで~と「スーダラ節」を歌う姿に感動しました。
「スーダラ節」はマネをすると大人が喜んでくれた。うちは建具屋をやっていたので職人さんがいっぱいいました。小学校の頃は親父が僕らも連れて職人さんと慰安の旅行に行くわけ。夜は当然宴会になります。そこで小学生の僕が「スーダラ節」を歌うと大爆笑です。
■曲を書きたいと思ったきっかけはビートルズ
植木等の歌はほとんど覚えて、学校に行っても植木等のマネばかりしてたなあ。ただ中学になると色気づくでしょ。恥ずかしいからやらなくなって、そこからはビートルズです。何がすごいと思ったかというと作詞・作曲を自分たちでやっていたことですね。曲を書きたいなと思うようになったのはそれがきっかけですね。
最初に聴いたのは「I Want To Hold Your Hand」。最初はただうるさいだけ。なぜ人気なのかと思ってたけど、「And I Love Her」「All My Loving」とかメロディックな歌もあってすごいと思いました。
ビートルズの来日は高校生の時。大学生の姉からチケットをもらって一人で出かけました。学校には「おじいちゃんが亡くなったので」とウソを言って休みました。先生には「おまえはおじいちゃんが何人いるんだ」と言われて(笑)。公演は前座が長くて正味40分くらいだったから、パッと出てきて終わっちゃった感じ。キャーキャーうるさくてよく聞こえなかったけど、「Yesterday」を歌ったのははっきり覚えてます。
それからですね、作曲家になりたいと思うようになったのは。大学を出てシンコーミュージックという音楽出版社に入りました。実はここで植木等とつながる。「網走番外地」のテーマ曲を作詞したタカオ・カンベさんという人がいてフォーメンという曲の企画集団を立ち上げて好きなことをやらせてくれました。当時、「帰って来たヨッパライ」がヒットしたこともあって面白い曲ばかり書いてましたね。
デビュー曲は「平和の歌」。「平和」は麻雀の役の「ピンフ」です。こういうシャレは「スーダラ節」の影響が大きいですね。そういう曲のストックはいっぱいあります。
その後はチューリップや甲斐バンドがシンコーに入ってきて、われわれは隅っこに追いやられ、負けてられないと思ったけど、日の目を見ることがなく。ちょこっと売れたのは石坂まさをが作詞した桜たまこの「東京娘」という曲とか。渡哲也さんの歌も書いたかな。でも、もうダメかなと思っていたらある時、田辺エージェンシーの田辺昭知さんに呼ばれて研ナオコのことを聞かれ、「『あばよ』が売れてるけど、研は詞がよくないとダメです」と答えたら、「じゃ君が書いてよ」と言う。「曲は書けるけど、詞は書かないから」と断ったけど「書ける!」と押し切られて「オゝ神様」という曲を書いたら、例の事件が起きて……。