渡部陽一さんが語る平和への思い「戦争がなくなったら学校カメラマンになりたい」
ウクライナには13回、戦争になってから8回出かけた
ウクライナにはこれまで13回行っています。戦争が始まってからは8回です。昨年2月24日に開戦。最初は5月です。最近は今年の8月24日です。この日はウクライナがソ連から独立した記念日でした。ゼレンスキー大統領は徹底して自国領土の主権を主張。ロシア側に割譲することは一切認めない、和平交渉をせず、あくまでもクリミアを含めてロシアの完全撤退がウクライナ戦争の線引きと声明を発表しました。万が一、ロシアが核攻撃に踏み切ったとしても抗戦するというメッセージを暗にロシアと欧米諸国に送りました。そしてロシアはこの日に合わせて大規模空爆を強行しました。
■悲惨すぎるジェノサイド
ウクライナでは、この1年8カ月でジェノサイド、無差別殺戮が何度もありました。あまりにも殺害され過ぎている。ジェノサイドが当たり前になり過ぎて、また起こったまた起こったと、起こり過ぎて実態がわからないほどです。ウクライナ国内では虐殺された死者数は出ていますが、戦闘が激し過ぎて遺体確認ができた数を報告しているだけです。領域に入れない東部のドンバス地方や南部のヘルソン、ザポリージャあたりの状況は戦闘が激し過ぎてわかっていません。行方不明、ロシアに連れ去られた子供は確認されただけで数千人といわれています。
前線で行われている戦いはウクライナはAIやドローン、ロボット、遠隔操作……。ウクライナはヨーロッパのシリコンバレーといわれ、ものすごいハイテク国家です。ところが、ロシアは70年代、80年代の超クラシックな戦車です。旧ソ連時代と同じ人海戦術で無差別に攻撃するやり方です。戦闘部隊には刑務所から連れられてきた囚人が多く、彼らを前線でばらまかせて戦わせる。そしてウクライナが撃ってきた方向がわかった段階でプリゴジンが率いたワグネルの本丸部隊が入っていくというような戦い方です。戦略とか戦術とかではなく、兵士がばらまかれている状態。遺体も確認せずに放置したままです。
戦争に行ったまま、息子が帰ってこないロシア中部や東部の地域の貧困に喘いでいる家族が怒りを訴えてデモを行えば逮捕、家族まで一斉に粛清される。反政府を掲げれば、ナワリヌイ氏のように裁判もなく刑務所にブチ込まれる。内部の仲間も粛清、いつ暗殺されてもおかしくない。イメージはスターリン時代の大量虐殺です。
そんな戦争の現場を見てきた僕には夢があります。世界中から戦争や紛争がなくなり、戦場カメラマンはいらなくなることです。そして学校カメラマンになること。31年間の戦場カメラマン生活の中で世界中の子供たちに出会ってきました。戦いが終わった後、穏やかなキャンパスライフを送り、授業、休憩時間、お昼を食べている瞬間、遊んだり、先生とのやりとり……そういう姿を世界中の学校に足を運んで記録として残したい。笑顔を撮りたい。そんな学校カメラマンになるのが僕の夢です。
■世界中変わらない日常をすくい上げたい
子供たちにとって、戦場という日常は悲しみの日常ですが、日本にいる私たちの日常と変わらないものも染み込んでいます。紛争地であっても朝はお母さんが限られた食料でご飯を作り、夜はお父さんが帰ってきて発電した電力でテレビをつけ日本のアニメを見る。夜は川の字になって両親と眠る。そんな両親とか祖父母の温かい気持ちと、私たち日本人が家族を思いやる気持ちは、同じです。譲り合いや寛容の気持ちといったオープンマインドはどこでも同じでした。
この本では残虐なニュースもあるけど、そんな変わらない日常をすくい上げることができるような言葉や思い、写真を選んでみました。戦場であっても温かく、柔らかくつながっていくことができる、その入り口になることができたらと思っています。
(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)