舞台「外地の三人姉妹」は過去が題材だが、その描く先には未来がある
まず大きな声で言おう。KAAT(神奈川芸術劇場)で現在上演中の日韓共作舞台『外地の三人姉妹』。これは傑作。お時間のある方はぜひ足を運ぶべし。今度の日曜日(12月10日)まで。観て損はしません!
ふぅー。では以下、通常の声量で。
ロシアを代表する劇作家アントン・チェーホフ(1860~1904)の名は日本でもよく知られている。栄華を誇ったロシア帝国が滅びゆく姿を独特の視点で描く作品は、翻訳あるいは翻案され繰り返し上演されてきた。演劇のほうは不調法でという人も、影響下にあるクリエイターたちを経由してチェーホフ由来の有機的な栄養を従属的に得ているはずだ。かく言うぼくもそのひとり。全集を通読したためしはないが(自慢になりません)、ひと晩語るくらいの雑学ならある(かえって恥ずかしいけど)。だって、チェーホフだもの。「読まずに語る(by田中康夫)」対象たりうる海外劇作家としては、シェークスピアと並ぶツートップなんじゃないか。
日本で最も有名な「チェーホフの子」は太宰治『斜陽』だろうか。同小説が戯曲『桜の園』の非嫡出子だという通説に異論はない。『桜の園』といえば、それを毎年上演する女子高演劇部を舞台にした吉田秋生の漫画『櫻の園』もある。中原俊監督の1990年の映画版は、今なおぼくの偏愛の対象。その後舞台化、再映画化もされたっけ。最近だと濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が、村上春樹の同名短編を下敷きにしつつも『ワーニャ伯父さん』を大胆に(そして緻密に)引用していたのが記憶に新しい。受賞の栄誉に浴したカンヌとオスカーでは、チェーホフ引用が大きな役割を果たしたとも聞く。