「お笑い三冠!」担当マネジャーSMA平井精一さんが語る 優勝の舞台裏とマネジメントの秘訣
バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、錦鯉らを育てた名物マネジャーとして知られるソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)の平井精一さん。著書「『芸人の墓場』と言われた事務所から『お笑い三冠王者』を生んだ弱者の戦略」も話題になったが、あらためて三冠の瞬間とマネジメントの秘訣を語ってくれた。
■社内で自分の居場所をつくるヨコシマな考え(笑)
──音楽事務所でお笑い班を立ち上げた経緯を教えてください。
渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)からSMAに入社し、宣伝部の仕事は楽しかったのですが、やはりマネジャーをやりたかった。「何か立ち上げないと自分は悲惨なことになる」と、社内で自分の居場所をつくるというヨコシマな考えもありました(笑)。
当時「エンタの神様」や「M-1グランプリ」が高視聴率で、芸人ブームの時でしたし。東京の事務所は所属芸人が少人数でしたので、逆に2004年の年末に芸人になりたい人を大々的に募集。養成所はつくらず、来た人を全員所属として抱えました。
翌05年にライブを立ち上げ、同10月には「エンタの神様」でコウメ太夫が売れてました。うちは他の事務所をクビになった芸人でも来る者は拒まず。吉本さんがうまくいっているのは人数だと思うんです。「人は財産」という考えで集めました。
──「爆笑レッドカーペット」など芸人ブームの中、響やAMEMIYAがブレーク。12年にバイきんぐが「キングオブコント」で優勝しました。
うれしかったですね! マネジャーとしてそんな感覚を味わったことはなかったです。