ジュリアナをバブルの象徴にする愚かさ
ジュリアナのお立ち台ボディコンギャルを歴史のシーンで使うなら、バブル崩壊後の世知辛い時代を象徴するものとして使うべきなのだ。
どうしても熱気あふれるディスコシーンを使いたいなら、バブル期に営業していた「マハラジャ」にすべきだ。もっとも、お立ち台もジュリ扇もない。スーツの女性たちばかりで、だいぶ雰囲気は異なるが。
たかが1、2年の誤差でそんなに目くじら立てなくても、と言うかもしれない。
並木路子が歌った戦後のヒット曲第1号「リンゴの唄」(作詞・サトウハチロー、作曲・万城目正、編曲・仁木他喜雄)は、終戦直後の46年1月にリリースされた。焦土と化した東京の青空に流れた「リンゴの唄」は、敗戦下の国民にかすかな希望を与えてくれた。もしもこれが1年前、戦時中にリリースされたとしたら、まったく曲の印象も時代背景も違ってしまうだろう。
歴史において、1、2年の誤差はけっしておろそかにできない。しっかり指摘し続けないと、間違った史実が大手を振ってしまうのだから。