中原中也、小林秀雄、長谷川泰子の三角関係…彼らはなぜ愛し、そして憎んだのか?
呆れてしまうほど複雑な男女関係
小林は中也の才能を称揚し、無償の協力を申し出る。中也はそんな小林を信頼しつつも破天荒な振る舞いから抜け出そうとしない。泰子は2人の男の間を木の葉のように舞い、結果的に中也を精神的に追い詰める。
泰子には新進女優らしい芯の強さがあった。妥協を許さない性格なのだ。中也の甘えたい願望を満たしてはくれるが、多くの場面で衝突する。泰子は小林に安寧を求めて去っていく。
中也は泰子に裏切られたものの未練たらたらだ。「箸や茶碗もいるだろう」と泰子の荷物を届け、2人の新たな生活に踏み込んでくる。その結果、小林は泰子を抱くことで中也を自分の中に取り込んだような発言をし、ついには泰子から逃げようとする。
呆れてしまうほど複雑な男女関係。誰が悪いのか。本作を見れば中也が張本人であることが分かる。幼児のようにわがままを押し通し、周囲の人を傷つけ、そのあげく自分を貶めるのだ。
だがその無軌道な生き方が数々の傑作詩編を生んだ。
劇中で小林は中也の「朝の歌」を朗読する。
「天井に 朱(あか)きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)い
手にてなす なにごともなし。」
読み終えた小林は「中原、やはりおまえは天才だよ」と満面の笑みで喜びを表現する。
中也のファンと話をすると、その多くが「中也は天才」「生まれ持っての才能だ」と、小林と同じように賞賛する。中也は社会生活の破綻者であるがゆえに、優れた文学作品を創造しえたのだろう。破滅型の天才とそれに振り回される人間の右往左往がこの映画の見どころだ。