逃避行から35年ぶりに祖国の地を踏んだ岡田嘉子
映画界から干された2人は「岡田嘉子一座」を旗揚げし、地方巡業で糊口(ここう)をしのいだ。5年近くそんな生活が続き、疲れ果てていた頃、松竹から声がかかり再び映画界に戻った。小津安二郎監督の「また逢ふ日まで」や「東京の女」で主演を務め、批評家からは絶賛されたが、興行的には振るわなかった。回ってくるのは主演よりも助演の方が多くなった。
嘉子は次第に軸足を映画から舞台に移していった。そんな時、杉本と出会う。嘉子が出演する明治座公演「彦六大いに笑ふ」の演出者として杉本が招かれたのである。36年7月のことだった。
共産主義者の杉本は3年前、治安維持法で検挙され、過酷な獄中生活の末、懲役2年執行猶予5年の判決を受けていた。そんな杉本に嘉子は一目惚れをした。すでに竹内との夫婦仲は冷め、別居していた。
嘉子は杉本にどんどんのめりこんでいった。2人の間でソ連への亡命の話が出るようになっていた。ソ連は世界で初めて社会主義革命を成功させた理想の国と杉本は信じて、嘉子も感化され、計画は次第に現実味を帯びていった。そして38年1月、逃避行を決行。だが、2人を待っていたのは非情な運命だった。入国3日目、2人はソ連当局に拘束され、離れ離れになり、その後、二度と顔を合わすことはなかった。杉本はスパイ容疑で39年10月に処刑され、帰らぬ人となった。