「渡鬼」降板、病魔と闘った山岡久乃
しかし、マスコミや視聴者はこの説明に納得しなかった。橋田が見舞いに行こうとしたら、山岡の事務所に断られたと発言したことなどから確執説が浮上し、橋田らへのバッシングも一時的に起こりかけた。
そんな中、沈黙を守っていた山岡が12月15日に所属事務所を通じて、胆管がんであることを公表した。「もう少し時間がかかると思いますが、もう少しこの女優の底力を見守って下さい」と言葉を寄せ、闘病と仕事の再開への意欲を見せた。
病気がわかったのは97年。2月に体の不調に気づき、同3月には総胆管結石の手術を受け、その際、がんが見つかったという。告知は7月。山岡は医学書を読み、自分の病名については察していた様子で、告知された際も動揺はなく冷静に受け止めた。
その後の経過も良好だったが、降板から4カ月後の翌99年2月14日、容体が急変。15日午後10時2分、帝京大学溝口病院(川崎市)で親族や親しかった池内淳子や長山藍子に見守られ、72歳の生涯を閉じた。山岡にとって降板は覚悟の上というのが妥当だろう。
葬儀は「日本のお母さん」「橋田ファミリーの看板女優」といわれた山岡だけに、盛大なものだった。18日に遺影と棺を乗せた車がよく出演していた銀座の劇場を車で巡る葬送が行われ、沿道には1万人以上のファンが詰めかけた。19日に告別式が営まれた築地本願寺には橋田や石井、藤岡琢也、ピン子など渡鬼ファミリーら関係者が顔を揃えた。