山下PMC 川原秀仁社長<1>本田宗一郎の生きざまから学んだ
それは1967年の年末。当時、小学2年生だった川原秀仁は、映画「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」を、地元唐津市の映画館に見に行く。だが、秀仁少年の心を打ったのは「ゴジラ」や「ミニラ」ではなく、「映画ニュース」だった。この年9月にイタリアのモンツァサーキットで開催されたF1選手権第9…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,047文字/全文1,187文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】