石原莞爾は「満州事変で沢山の若者を殺してしまった。悪いことをしたのだ」と言った
![療養中の自宅からリヤカーで東京裁判出張尋問が開かれる酒田市へ向かう証人の石原莞爾(山形県飽海郡高瀬村、1947年4月30日=極東国際軍事裁判)/(C)共同通信社](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/315/457/1a76038f2aa29986267ffe7927716e0520221205130108068_262_262.jpg)
石原莞爾の秘書でもあり、同志でもあった高木清寿は、石原の家を包むように広がっていた雲が、ゆっくりと空に上がっていくのを、呆然と見つめていた。黒雲は空の雲に吸い取られるように消えていった。「私はこの時に将軍の霊は黒い雲に乗ってこの世から立ち去ったと思いましたよ」と高木は語っていた…
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