一般紙が報じなかった日露戦争の提灯行列、20人圧死事故
日露戦争は意外にも日本軍が有利に展開したため、国内では祝賀の空気が高まっていった。平民新聞はそういう空気と対決する姿勢も要求された。非戦論、反戦論は日本社会では弱虫扱いされたのである。
明治37(1904)年5月10日の午後6時からは、東京・日比谷公園で東京市内の新聞社…
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