監督の孫の誕生日まで記憶…楽天1位・松井を支えた母親の「気配り」
当時、一家が住んでいたのは横浜市青葉区のマンション。丘の中腹の閑静な住宅地にある。
仕事で忙しい父に代わり、子供たちの面倒を見ていた真琴さん。学生時代は陸上部だったこともあり、松井の朝のランニングにも毎日付き合った。少年野球チーム「元石川サンダーボルト」では、松井が通いだした直後から、チーム内でアイシングを導入。これも真琴さんの知識だった。
■「一期一会」カステラ
松井家を知る人は、「あの家はお母さんが中心」と口を揃える。その理由が気配りだ。松井が中学時代に所属していた緑東シニアの中丸敬治監督が言う。
「気配り、気遣いですね。私の座右の銘が『一期一会』なのですが、松井くんのお母さんはその文字の焼き印が入ったカステラを私に送ってくれたことがあります。お土産をもらったからうれしいというわけではなく、座右の銘を覚えていてくれて、『監督の言葉のカステラがありました』と言ってくれたのがうれしかった。そうそう、ドラフト後にも、こんなことがありました。私の孫の誕生日に、お母さんから『おめでとうございます』というメールを頂いた。確かに私に孫が生まれたことは知っていたでしょうが、だからといって特に教えたわけではありません。何げない会話の中で聞いたことを記憶していたんでしょうね。そうした心遣いは誰でも出来そうで出来ないものでしょう」