仁志敏久氏が語る激動の96年シーズン「メークドラマ」
「広島の背中がはるか彼方にかすんでも、長嶋監督だけは前向きでした。ミーティングでも『まだまだ大丈夫。8月になったら必ず一波乱ある』、8月に入ると今度は『9月には必ずひとヤマありますから』と。言葉のマジックというか、そういう監督のプラス思考に選手が暗示にかけられた。よく優勝が厳しくなったチームの監督が、『目の前の試合を一戦一戦、戦うだけ』などと言いますよね。実はこれって選手にとってはしんどい。ああ、もう首脳陣は諦めたんだなって空気になる。でも、長嶋監督は絶対にそういうことを口にしない。正直、厳しいんじゃない? と選手が思っても、監督が諦めていない以上、選手が投げ出すわけにはいかない。前だけを見る長嶋監督、その言葉を信じて実際に動く選手、こういうところが常勝を義務付けられた巨人の伝統なんだな、と新人ながらに思いましたね」
巨人の歴史的逆転優勝は、最終的に3位にまで落ちた広島の歴史的失速が演出した側面は無視できないが、仁志氏は長嶋監督の言葉のマジックだけでなく、その采配がチームに勢いを生んだと振り返る。
「長嶋監督の野球は選手を縛らない。例えば、盗塁。試合の中盤までは、サインなんか何も出ません。塁に出たら誰でも各自の判断で走ってよかった。失敗しても決して怒らない。新人だったボクなんて、ヤマほどミスをした。どうせアウトになるんなら、戻るんじゃなく、先の塁でっていう性格ですから(笑い)。暴走もいっぱいあった。でも、長嶋監督に注意されたことは一度もない。それどころか、ミスをして落ち込んでいると監督室に呼ばれて、『元気がないじゃないか。おまえが元気をなくしてどうするんだ』って逆に励ましていただいたくらい。チームの調子が上がらなかった6月、阪神戦で三塁を守っていたボクはサヨナラエラーをした。延長戦でのトンネルです。さすがに宿舎でふさぎ込んでいたら、監督の部屋に呼ばれた。その時も、『気にしちゃダメだぞ。明日からまた元気を出してやれ。オレだって失敗なんかいっぱいやってんだから』と。その次の試合でまたエラーをするんですけど(笑い)。それでも、怒られなかった。そういう長嶋監督だから、チームは勢いに乗り、それが止まらなかったんだと思います」