おいテレビ局 モハメド・アリと具志堅用高、この差はなんだ!
モハメド・アリはビッグマウスだった。大口は弱さの裏返し。しかし、彼は強かった。大口を叩いて自分を鞭打ち、強さに磨きをかけた。12歳の時に父親から買ってもらった自転車を盗まれて、「盗んだやつを叩きのめしてやる」と泣き叫んだ時、街でボクシングを教えていた警官に「叩きのめす前に、喧嘩の方法を覚えることだ」と誘われてボクシングを始めた。喧嘩の方法を教えたのは少なくとも父親じゃなかったのだ。
何かというと口を出し、息子をチャンピオンにするためなら当たるを幸い罵り、この国じゃもっとも嫌われる「子どもの喧嘩に親が出る」モンペ親父とはここが違う。
アリは強打の世界チャンプ、ソニー・リストンをぶちのめし、ベトナムへの兵役を拒否してヘビー級タイトルを剥奪されるが、無敵のフォアマンを倒して返り咲き「キンシャサの奇跡」といわれたんだ。おい、どっかのモンペ親父は、「僅差なら奇跡ちゃうやろ」とか言いそうだが、キンシャサちゅうのは試合開催地アフリカの地名じゃ、だぁ~っとれ!
アリは時に、あやしい誘いに乗って異種格闘技戦などもやったが、それだってわざわざ格下の弱い相手ばかりを選んでベルトを防衛させたモンペ親父のように、保身に走ったわけではない。つまらん試合で相手は卑怯にも足ばかり狙ったが、蝶のように舞ってかわしてみせ、相手は以後「アリキック」というのを見せ物の必殺技として儲けさせてもらった。国際親善としちゃ上出来の痛み分け。そういう遊びも含めて、アリは自由で強かった。引退後は黒人の権利保護の活動を続け、難病パーキンソン病のキーパーソンでもあった。