批判の矛先向く日大理事長の“正体” 角界が戦々恐々の理由
相撲指導には定評がある田中理事長は、自身もアマチュア相撲ではそれと知られた存在。日大3年時に学生横綱に輝き、卒業後もアマチュア横綱3回、実業団横綱2回の実績を誇る。
当時を知る相撲記者は「プロでも横綱になれた逸材でした」と、こう続ける。
「本人はプロ志望だったが、学校側に『プロには1年後輩の輪島を行かせるから、オマエは大学に残れ』と言われ、断念した経緯がある。強さは本物でしたね。あの当時、輪島が入門した花籠部屋は、日大相撲部の稽古場の近所にあった。そこに、日大職員時代の田中理事長が『輪島、一丁やるぞ』と、アマ相撲の大会の調整のため、“出稽古”に来る。輪島は入門3年目に関脇を4場所で通過して大関に昇進するが、その時でさえ、田中理事長には歯が立たない。しまいには、『先輩が来そうだから』と逃げ回っていたほどです」
■語っていた皮肉な信条
日刊ゲンダイは2006年、日大相撲部監督としての田中理事長に120分にわたってインタビューを行ったことがある。低迷中だった大相撲への提言として、