悩む吉井に野村監督が「ヤクルトを出なさい」と言った真意
【野村克也さんを悼む】(吉井理人ロッテ投手コーチ)
1997年のオフ、当時、ヤクルトにいた僕はFA宣言。メジャーを含めた8球団程度が「ぜひ、ウチに」と言ってくれていた。
国内球団に移籍するのか、メジャー挑戦か、それともヤクルトに残留するか、逡巡していた最中のことだ。あれは、確かヤクルトの納会だったと思う。野村監督は僕に「ヤクルトを出なさい」と言ったのだ。
この年、ヤクルトはリーグ優勝、西武との日本シリーズにも勝って2年ぶり4回目の日本一になった。僕は13勝6敗。先発として3年連続2ケタ勝利をマークした。
指揮を執る監督が戦力ダウンを危惧して引き留めるならまだしも、野村監督の口から出てきた言葉はまったく逆。どういうつもりで言っているのか一瞬、理解できなかったが、疑問はすぐに氷解した。
野村監督と言えば「ID野球」が代名詞。アタマを使った野球、論理的な解説で知られるが、実際は情に厚く、親身になって選手のことを考える監督だった。つまり、多くの球団がおまえを必要としているし、請われるうちが華、外の世界も知ってステップアップしてこいと尻をたたいてくれたのだ。