欲のない純粋なテレビマンは「商業五輪」を強く批判した
■「仕事と名誉は別だ!」
日本陸連元職員の田中学が坂井について語る。
「たとえば、オリンピックイヤーになると各テレビ局は、開会式の最終聖火ランナーだった坂井さんの映像を何度も流す。だから私は『何で肖像権を行使しないんですか。お金を集め、チャリティーで何かできますよ』なんて言うと、坂井さんは『仕事と名誉は別だ!』と怒る。欲のない純真な人でした」
東京オリンピックから50年目の2014年3月28日未明。脳内出血で倒れた坂井は、都下の武蔵野市の病院に入院した。駆けつけた早稲田大時代からの親友、元毎日新聞記者の平田毅は言った。
「義則は毎日、血圧を測ったり、人一倍健康に気をつけていたけどね。入院当初は意識はあったんだが、そのうち面会謝絶になった。義則は孫と一緒に20年オリンピックを見たいと言ってたよね」
入院から間もなくだ。東京・新宿の坂井の行きつけのアスリートが集う居酒屋「酒寮 大小原」(すでに閉店)の店主の大小原貞夫が病院に出向いたが面会謝絶。それでも「俺は家族よりも付き合いが古いんだ!」と看護師と医師を振り切り、病室に入った。