フジでは年収3000万円 金子正明さんの波瀾万丈な仕事人生
金子正明さん(レスリング63キロ級/68年メキシコシティー五輪金)
専修大学時代からレスリングのトップ選手として活躍した金子氏は卒業後、幹部候補生として自衛隊に入隊した。自衛隊体育学校に所属しながら、28歳3カ月で臨んだ1968年メキシコシティー五輪で金メダルを獲得。日本人男子レスリング選手としては今も破られていない最年長記録である。
これを機に引退し、後進の指導にあたった金子氏。隊内では30代後半から2、3年ごとに日本各地の部隊へ配属を経験し、順調に出世の道を歩んでいた。しかし、階級が2佐(中佐)となっていた47歳の時に突如、除隊することになる。
「私は東京の市谷で1佐(大佐)たちの再就職先を探す仕事をしていました。ある日、グループ会社が106社あるフジテレビへ、各社に1人ずつ採用してもらえばという算段で、会長の鹿内春雄さんに交渉しに行きました。数日後、『今すぐ来てくれないか』と電話があった。急いで当時のフジテレビ社屋に行くと、ワンフロアがまるまる会長室という大きな部屋に2人きり。1佐の再就職先の話かなと思ったら、『金子君、私は君が欲しい。グループ会社を含めて1万人いるが、ボディーガード兼秘書をこなせる者がいない』と言われたんです。
これを自分から断ってしまったら今後はフジテレビと取引が出来なくなってしまう。相手からオファーを取り下げるように仕向ければ円満に収まると考えて『僕の今の年俸が850万円だから、その倍ほしい』とムチャを言ってみた。すると会長は『いいよ』と即答するもんだから本当に困りましたよ。30秒くらい頭をフル回転させて今の生活や将来のことに思いを巡らせました。最終的に、ここで引いたら男が廃る、と腹を決めて立ち上がり、『お願いします』と頭を下げて、思わぬ形で転職することになったのです」
元金メダリストでレスリング7段、短剣道5段、銃剣道5段、柔道初段、そして自衛隊幹部という経歴もあり、これ以上にない適役ではあった。
「転職の話を同僚や友人にしたら『部下が何百人もいるのにここで辞めるのか』と否定的でした。それでも妻は『一日でも早く自衛隊を辞めてください』と。転勤があると、妻や子供を置いて単身赴任していましたから、妻は喜んでいました」