有藤さん主催の宴会はブランデーの回し飲みが恒例イベント
プロ4年目の85年。私は開幕から8試合で安打は右打席での本塁打1本のみ、打率・048と大ブレーキに陥った。
■「ペッパーやるぞ」
翌日、大阪球場(当時)での練習日に有藤さんから「ペッパーやるぞ」と声をかけられ、1時間ほどトスを上げてくれた。特に何を指導するでもなく、ただひたすらボールを投げてくれた。翌日、体がバリバリだったが、ヒットが1本出た。そこから一気に安打が出るようになった。ペッパーによって、体のキレが取り戻せたことが大きかった。
よき兄貴だった有藤さんは、86年限りで現役を引退し、すぐさま監督に就任。監督と選手としての関係が3年間続いた。 =つづく