新谷仁美のコーチ・横田真人氏が説くスポーツのあるべき姿

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「命というものは正直、オリンピックよりも大事なものだと思います」

 新型コロナウイルスの感染拡大が収束しない中、新谷仁美(33)が語った飾らない本音。陸上女子1万メートルで東京五輪代表に内定している新谷は、「アスリートとしては出たい、人としては出たくない」と率直な発言を続けている。これに「アスリートには発信する責任がある」と理解を示すのは、新谷を指導する横田真人コーチ。自身も2012年ロンドン五輪陸上男子800メートルに日本人として44年ぶりに出場を果たしたオリンピアンだ。

 引退後に会社を設立し、勝敗ばかりにとらわれない生涯スポーツとしての関わり方を追求。中距離に特化した賞金レース「TWOLAPS MIDDLE DISTANCE CIRCUIT」を立ち上げた。教え子の発言に何を思うのか。コロナ禍で揺れる五輪をどう見ているのか。

■本来滅ぶべきものが滅んだ

 新谷のことは心配です。でも、発信しないと理解してもらえないのも事実。個人的には、アスリートには発信する責任があると思っている。賛成か反対かを言えと言っているんじゃなく、自分がどう考えているか、苦しいならなぜ苦しいのかを説明することが大事なんじゃないか。

 新谷と「オリンピックってどう?」という話はよくするんですが、(14年に一度引退した)彼女はシンプルに「復帰して応援してもらったのが何より力になったからこそ、応援してもらえない状況が正しいと思えないし、それがしんどい」と。それなら、それをそのまま伝えたらいいんじゃない? と。それすらも発言せず、何も考えずに競技をやっているだけだと思われるのはダメだと思う。だから僕は彼女の行動をリスペクトしています。

 僕の中では、新谷はかなりオブラートに包んで言っているなと思って聞いていました。

 とはいえ、僕ならあんなに言えない。人生かけてやってますからね。僕の場合、陸上じゃない道もある中で陸上を選んだ。普通の企業で働いた方が稼げるし、安定しているというのはあったけど、誰も成し遂げたこともないことをやりたいとか、日本代表として世界と戦いたいとか、日の丸を背負いたいという思いで人生かけて勝負していた。その中で新谷みたいなことが言えるかといったら難しいかもしれません。

 選手の立ち位置もそれぞれ。新谷みたいに五輪がなくても食っていけるレベルの選手もいれば、五輪に出るか出ないかでスポンサーが決まってチームの存続が決まる選手もいる。チームスタッフの生活を背負って走っている選手もいる。

 でも、そもそもスポーツは五輪のメダルや世界大会で何位というのが特別視され過ぎちゃったのが問題かなと思います。もっとスポーツは身近であるべきだし、そうあることで持続的にスポーツが繁栄していくと思っている。

 僕はメダル至上主義とか嫌いだし、そうじゃない価値観をつくっていかないとスポーツは滅びるとずっと考えていた。本来滅ぶべきものが滅びたということです。どのスポーツにも無理があったんです。それが今回のコロナでより浮き彫りになった。

コロナでかねての問題が顕在化

 無理のないものや必要なものはコロナ禍でも生き残っているわけで、そうじゃないものが淘汰されるのは自然なこと。その中でオリンピック、特に東京五輪はなぜコロナ禍の今、東京でやらなきゃいけないのか、きちんと議論されて説明されてこないまま物事が進んでいったことが最大の問題だと思う。

 国民が「日本を変えていくためには必要だ」と思えば、もしかしたらリスクを取ってでもやろうとなっていたかもしれないけど、そうじゃない。「スポーツの中」にいる自分でさえ、なんで今、東京なのかというのは分からないんです。

 コロナの前から大会ロゴの問題や国立競技場の問題で揉めていて、場当たり的にいろんなことを変えていく中で、なぜ東京でやるのかっていう疑問はそもそもあった。なぜ何でも揃っている日本でお金をかけてまでやらなきゃいけないのか。本当はハード面じゃなくてソフト面をつくらないといけなかったと思うんです。

 そういう疑問や不満が積み重なって、コロナで爆発して顕在化しただけのことだと思います。

 ただ、それを(ネット上で競泳池江璃花子に代表辞退を要求する声が出たように)「アスリートが辞退すべき」と言うのは違う。選手は影響力はあるけど決定権はないですから。

 今もこうやってコロナ禍で開催自体に世論が真っ二つになっていて、しかも反対意見というのが強く見えるので、ひとつの意思表明が選手には大きく響いてしまう。アスリートは応援してくれる人や社会がなければ成り立たない仕事。本来支えてくれている人たちの意見が割れているのは苦しいですね。

記録や数字以外の魅力

 メダル至上主義というのを連盟が掲げると、「取る人が一番」になる。それはすごいけど、他にもすごいことがあるよねと。世界大会のメダルというのは、僕らが目指すべきものではあるけど、メダルを取ったからその競技が普及するかと言ったらまた別の問題です。

 繰り返しますが、メダルの数や国際大会の結果以外でスポーツの価値をきちんと伝えないと、メダル何個とか世界大会何位という価値観だけじゃ生き残っていけないという危機感があった。それなら、自分たちで競技の魅力を伝える場をつくろうと思ったんです。

 一番の問題意識として「陸上の魅力をきちんと伝えてこられたのか」と、選手時代もコーチになってからも感じる部分があった。

 そもそも陸上競技の性質上、いろんな種目がある中で共通するのが記録、数字。そこはもちろんシンプルで分かりやすくて魅力がある。報道していただくときも記録が一番期待されるし、仕方ない部分ではあるけど、その裏にある価値や魅力を僕らは伝えてこられたのかという疑問があった。

 陸上の場合、箱根駅伝が人気ですが、選手がすごいというよりは箱根駅伝というプラットフォームがしっかりしているから。だから、中距離という種目の人気を高めて、持続的に選手たちが競技をできるような環境をつくっていこうと。

 賞金100万円は、「見る人のため」のお金なんです。正直、同じ賞金でも1位は50万円、2位は30万円、3位は20万円と、段階的に賞金を上げるのがアスリートにとっては幸せ。でもそれを1人に100万円という方式をとったのは、見ている人がより感情移入できるだろうと思ったからです。

 競馬では、自分の買った馬が勝つかどうかドキドキして見ますよね。もちろん選手に賭けるわけじゃないけど、「ここでリスク取ってでも勝ちに行ったな」とか「最後の100メートルは誰が出るんだ」と、観客の視点が増える。

 東京マラソンのように「日本記録を出したら」じゃない。勝ったらもらえる。記録じゃなくて勝負の方に目を行かせたかった。そのことで競技の新たな魅力を提示できればという思いです。それに、賞金を取れば使い道もメディアから聞かれますし、そこから選手の個性やストーリーが生まれる。うちの選手には「100万円取った場合の使い道を考えとけ。『貯金』は禁止」と言っています(笑い)。

 どの種目にも魅力的な伝え方があるはずで、それは種目別に考えていくべき。長距離が箱根駅伝だとしたら、中距離の場合、僕の考えは「競馬的」というか、どれだけその勝負に入り込めるか、スピード感や駆け引きが引き立つ演出や仕掛けが大事だと思っています。

■箱根駅伝の功罪

 日本が中距離に弱い一番の要因は、人材が全部駅伝に流れること。800メートルで優秀な選手にはまず駅伝の勧誘が来ます。駅伝をやることによって良い高校や大学に行けたり学費免除のような経済的な利益があったり。人とお金が駅伝に流れることが大きな原因かなと。

 箱根駅伝って、関東の学生で200人出場するんです。つまり、関東で200位になれば出られる。日本選手権上位入賞でないと食べていけない中距離と比べると、そんなに大変じゃなさそうですよね。なのに、あんな大きな舞台に出られるって夢のあることだし、手が届きそうで、かつキラキラしているというのは目指しやすい場所なのかなと思います。

勝ち負けは大事だけど、それは他のところでやればいい

 立ち上げたこのサーキットで強化とか発掘とかは正直考えていない。僕が若い子に伝えたいのは、部活動の真剣勝負やルールの中でやるスポーツとは違うところに生涯スポーツがあるということ。それを知らないまま引退してスポーツから離れられるのは嫌なんです。

 勝ち負けは大事だけど、それは他のところでやればいい。大人になってから走り始めた人に「何で走っているんですか?」と聞くんです。というのも、理解できないんですよ、僕は勝ち負けの人だから。聞くと「走っていると褒められるんですよ」とか「自分のタイムがちょっとでも伸びることに達成感がある」とか。勝った人がすごいんじゃない、一番が偉いんじゃないところに価値を見いだしたい。そういう楽しみ方があるんだというのを伝えるために、サーキットではスポーツのいろんな関わり方を詰め込みたいんですよ。ちょっとお腹いっぱいになるかもしれないですけど(笑い)。 

(構成・中西悠子/日刊ゲンダイ)

▽横田真人(よこた・まさと) 1987年11月19日、東京都出身。立教池袋中学時代に陸上を始める。慶応大学卒業後、富士通に入社。2012年のロンドン五輪で日本人として44年ぶりに800メートルで五輪出場を果たす。五輪後に渡米。米ロスで競技生活を送りながら、15年に米国公認会計士の資格を取得。16年に現役引退。20年に「TWOLAPS TC」を設立し、代表兼コーチを務める。1万メートル日本代表の新谷仁美を指導。男子800メートル元日本記録保持者(1分46秒16)。

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