森保Jの「切り札」古橋亨梧はこうして誕生した “関西のバルセロナ”興国高監督に聞いた
決定力不足が叫ばれるサッカー日本代表にあって、昨夏移籍したスコットランドリーグで公式戦20ゴールと得点を量産し、注目を浴びているのがFW古橋亨梧(27=セルティック)だ。
11月21日開幕のカタールワールドカップ(W杯)に出場する日本代表・森保一監督の「切り札」はいかにして誕生したのか。「関西のバルセロナ」といわれ、ここ10年で27人ものプロ選手を輩出している興国高の恩師・内野智章監督(43)に聞いた。
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■背後への抜け出しのスピード
──古橋は中学時代、フットサルで日本一。入学前から有名な選手だった?
「有名ではありませんでした。他の私立校の練習会では声が掛からなかったそうです。興国入学後もその高校の先生が何も言ってこなかったので、たぶん練習会に来ていたことも知らなかったかもしれません」
──目立つ選手ではなかった?
「当時は身長が162センチくらいで(現在170センチ、63キロ)めちゃくちゃ細かった。ドリブルもうまくなかったし、小さくてちょっとすばしっこいガリガリのサッカー少年という感じ。シャイな性格で自己主張するプレーがなくて物静かだから、目立ちませんよね」
──そんな選手をなぜ興国高校に?
「背後への抜け出しのスピードとタイミングが凄かった。これは天性のもの。中学の指導者の方に『面白いですね』と言いました。即決ですね。それで亨梧にこう言ったんです」
──何と?
「スピードはあるし、抜いて背後に出るのも上手やけど、ドリブルで突破して自分で行くというところが一番足りない。興国に来てドリブルを磨いて、自分で突破していけるようになれば、海外でも通用するフォワードになれるんじゃないかって。それが響いたんじゃないですか。最初から『海外』って言いました。ホンマに行くとは思いませんでしたけど(笑)」
──細かったということは、まずは体づくりから?
「うちはフィジカルトレーニングをあまりやりません。とにかくドリブルで仕掛けられるように。日本人にありがちだけど、自分で行けるのに行かない時は『おまえはもっとやれる! もっと行け!』みたいな感じで怒ることが多かった。『おまえ、もっと失敗しろ』って『ここまで怒られるやつはいないぞ』って。徹底的に技術の練習をやりました」
──転機は?
「サッカー部は修学旅行でスペインに行くんです。亨梧は有望だったので1年生の時も行っています。2年時と2回。ここで、クリニックのあるコーチの教えが大きかったんじゃないかな」
──あるコーチ?
「元バルセロナの下部組織のコーチを務めていたジョアン・ビラといって、イニエスタとかシャビも教えた人物です。スペイン流のマークの外し方とか背後の取り方を教えてもらって、亨梧が持っていた天性のものと裏抜けの感覚にプラスして、スペイン流の技を教えてもらい、それを僕らが日本に持ち帰ったんです」
──どんな練習?
「例えばディフェンスに向かって走っていって急激に方向を変える動き。日本の場合は、右に行くふりをして左に行くとか、縦に行くふりをしてボールを受けに戻るとか、背後に走るとかはやります。もちろんスペインでも、それはやるんですけど、自分のマーカーに向かって走っていって急激に方向を変えるのは日本では教えません。スペインで教わったことは大きかったと思います」
──古橋の特徴は?
「体は細いけど、水泳もやっていて、そっちで特待生の誘いがきていたほど。体幹が強く、足が速い上に長く走れて心肺機能も高い」