森合正範氏「記者として絶望感、敗北感を感じたのは井上尚弥が初めてです」

公開日: 更新日:

森合正範(東京新聞記者)

 発売前に重版が決定するなど、話題のノンフィクション「怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ」(講談社)。WBC、WBO世界スーパーバンタム級王者で世界のボクシング関係者から「モンスター」と称される井上尚弥の強さに迫った一冊は、発売から1カ月で4刷3万部を突破し、その勢いが止まらない。そんなモンスターの強さを探るため、メキシコやアルゼンチンまで赴き、過去の対戦者たちを取材。12月26日に井上が挑む世界スーパーバンタム級の4団体王座統一戦を前に、著者の森合正範氏に話を聞いた。

 ◇  ◇  ◇

 ──井上尚弥というボクサーを書こうと思ったきっかけは。

 僕はボクシングが大好きで、ボクシングを書こうと思って新聞記者になったくらいなんです。でも、何度も試合を取材しながら、井上尚弥を書くことがまったくできなかった。自分が見たリングの井上尚弥と、自分が書いた井上尚弥があまりに違う。何が凄いのか何が強いのか。読者に全然伝えられていないのではないか。胸中に葛藤がありました。試合の日が来るのが怖かったほどです。それが決定的になったのがパヤノ戦です。

 ──2018年10月7日、バンタム級最強を決めるトーナメント「WBSS」(ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ)で、井上が元世界王者を1R70秒でKOした試合ですね。

 その原稿がひどいんですよ。本当にもう殴り書き。締め切りが来たから送ったんですけど、嫌な気持ちを2、3日ひきずっていました。ちょうどその頃、飲み会で「井上ってどこが凄いの?」という話題になったんです。僕は「スピードがあって、パワーもあって、ディフェンスもすごくて、いつも試合が終わった後も顔がキレイで……」とか、とにかく薄っぺらい説明しかできなかった。そこで「ん?待てよ? これ、自分が書けないんじゃなくて、そもそも井上の強さを根本的に分かってないのでは?」と気付いたんです。それを編集者に話したら、「じゃあ、これまで井上と戦った人を取材してみたらどうですか?」と言われたのが執筆のきっかけです。

 ──過去、そんな思いにさせられたアスリートはいましたか?

 こうも絶望的というか、敗北感を感じたのは井上尚弥が初めてです。試合は多少攻防があれば、それらしいことは書けるんです。それが攻防すらない、ワンツーだけで勝った試合なんて、一体どう書けばいいんだ、と。絶望的な気持ちで「この原稿は自分の負け」と送信ボタンを押したこともあります。

 ──「怪物に出会った日」は井上に敗れた選手たちの証言で構成されているが、負けたボクサーに話を聞きに行くことに葛藤はありませんでしたか?

 編集者に話を振られた時、「絶対に無理だ」と思っていました。まるで傷口をえぐるような行為じゃないか、と。人生を左右する1敗や挫折について、根掘り葉掘り聞いてもいいのだろうか? と葛藤しました。それでも最終的には「井上尚弥の強さを伝えなければ」と思って踏み出しました。

■強さを伝えられないもどかしさ

 ──取材で嫌な顔をされたことはありませんでしたか?

 本でも書いていますが、ワーリト・パレナス(15年12月、2R・KO)のトレーナーを務めた阪東ヒーローさんには最初、「試合の動画は見たくない」と言われました。アドリアン・エルナンデス(14年4月、6R・TKO)はインタビュー中、右手の人さし指でテーブルを「トン、トン、トン」とずっと叩いていた。それは当然だと思ったし、その気持ちも理解した上で、話してくれなかったら仕方ない、会ってくれただけでもありがたい、と思っていました。

 ──にもかかわらず、最終的には多くのボクサーたちが井上戦について冗舌に語っています。

 彼らも負けた直後はショックだっただろうし、立ち直れないくらいの傷を心に負った人もいると思う。でも、井上尚弥が勝利を重ね続け、大きな存在になっていくことで、「あの選手と戦えたんだ」「井上に立ち向かえたんだ」と誇りを抱けるようになったからだと思います。田口良一さん(13年8月、10R判定勝利)のように、井上尚弥との試合を財産、糧にして、のちに世界王者になったケースもありますが、どのボクサーもここまで語ってくれるとは思ってもみませんでした。オマール・ナルバエス(14年12月、2R・KO)もそうです。

 ──アルゼンチンで取材をしたボクサーですね。

 ナルバエスはWBO世界フライ級とスーパーフライ級で何度も王座を防衛したアルゼンチンの英雄。KO負けは井上尚弥との試合の1回のみです。それが「俺のパンチはこうで、井上のパンチはこうだった」と、細かい身ぶり手ぶりを交えて細かく話してくれました。

 ──それはなぜだったのでしょうか?

 おそらく、リングで体感した井上尚弥と、メディアが報じる井上尚弥の姿が違うと感じたからでしょう。だから、「実はこんなに高度な攻防があって、井上はさらにその上を行っていたんだぞ」と伝えたかった。だから僕に「ちゃんと井上の強さを伝えてくれ」と言いたかったのではないか。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 2

    米挑戦表明の日本ハム上沢直之がやらかした「痛恨過ぎる悪手」…メジャースカウトが指摘

  3. 3

    陰で糸引く「黒幕」に佐々木朗希が壊される…育成段階でのメジャー挑戦が招く破滅的結末

  4. 4

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 5

    巨人「FA3人取り」の痛すぎる人的代償…小林誠司はプロテクト漏れ濃厚、秋広優人は当落線上か

  1. 6

    斎藤元彦氏がまさかの“出戻り”知事復帰…兵庫県職員は「さらなるモンスター化」に戦々恐々

  2. 7

    「結婚願望」語りは予防線?それとも…Snow Man目黒蓮ファンがざわつく「犬」と「1年後」

  3. 8

    石破首相「集合写真」欠席に続き会議でも非礼…スマホいじり、座ったまま他国首脳と挨拶…《相手もカチンとくるで》とSNS

  4. 9

    W杯本番で「背番号10」を着ける森保J戦士は誰?久保建英、堂安律、南野拓実らで競争激化必至

  5. 10

    家族も困惑…阪神ドラ1大山悠輔を襲った“金本血縁”騒動