「実際のところ二刀流を勧める立場でもなければ、考えたことも、その発想すらなかった」
本塁打王と2度のMVPという実績をひっさげ、プロスポーツ史上最高額でドジャースに移籍した大谷翔平(29)。メジャーでベーブ・ルース以来となる二刀流選手の礎を築いたのは日本ハムだろう。
大谷を獲得した当時のGMである山田正雄スカウト顧問に結婚、二刀流、その素顔などを聞いた。今回はその【第3回/全4回】
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──二刀流が誕生したきっかけを改めて。
「山田さんが二刀流を勧めたんでしょ? という人もいるんだけど。実際、そういう立場でもなかったし、考えたこともなかった。(投手と野手)どっちかをフツーはやるんだろうというね。そういう発想がなかったものですから。ただ、年が明けて自主トレが始まる前に、栗山さんからどっちがいいの? と聞かれたときに、『ピッチャーもいい、バッターもいい』って……なんかこう優柔不断のように、両方いいんじゃないですかと。
どっちがいいって言えないから、それはもう、現場の方で、栗山さんに見てもらって、そこで判断してくださいよと。そういう話なんです。それがどっかで、栗山さんが両方やらせてみよう、見てみようと思ったんじゃないですかね。実際には僕らでなく、栗山さんがそういう考えでやってくれたんだと思います」
──栗山監督にはどっちもいいと話したそうですが、山田さん自身はピッチャーとバッター、どっちだと。
「ピッチャーとしてはもうひとつ、コントロールが問題でしたから、ちょっと時間がかかるかなぁと。ただ、いいときもありましたからね。投げられるものはもってましたから、いずれは良くなるだろうと。バッターとしては脚力があるのは分かっていましたし、1年目からかなりいけるだろうとは思ってました、使いさえすればね」